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特に理由もないまま留学してみて気付いたこと

オーストラリア留学編も3回目となる。

無謀ではある私だが、勇気があった訳ではない。

初日はカフェでコーヒーを頼めなくて泣きそうになった。

補足をすると、メルボルンはカフェ文化で、日本のように「コーヒー」と注文することはない。

基本的にエスプレッソだったり、カプチーノだったり、カフェラテだったり、カフェモカだったり、チャイラテだったり、あとフラットホワイト(オーストラリア独自のコーヒーの種類!)だったり。

とにかくそういう「種類名」で注文する文化だったのだ。

それでも私の「coffee」発音は悪かったと思うけど。

 

とまぁ、私が語れる、他人とは違うプチ波乱万丈留学話は先の二話くらいだ。

その後はある程度順風満帆。色んな国の友達もできたし、シェアハウスのメンバーとも仲良くやっていけた。

喋れない!話せない!話したい!うまく話せない!というもどかしさが、強いて言えば一番のフラストレーションだったのかなとも思う。

そういう時はアレだよ、喋れなくともスポーツで交流すればいいんだよ。

風のある屋外でのバトミントンは、そりゃあもうめちゃくちゃに盛り上がります。

万年運動不足の私は、次の日筋肉痛で死んでいましたが。

 

私は留学先で、何も大したことはしていない。

志高い人は、ボランティアやったり何かの団体に入ったり一生懸命過ごしていたけれど、私はできた友達と一緒に買い物行ったり、頼まれてちょっとだけバイトしたり、図書館に行ったり(日本の漫画が英語翻訳で大量に置いてあるのすごい)、映画を見たり(ファンタスティックビーストは日本より公開日が早かった)、遅刻遅刻~とタラタラ歩いていたら同じく友達と遭遇、「朝ごはん食べてないんだよね」の一言でおサボり決定、の優雅にカフェモーニングを決めたり、だとか、そういう生活をずっとし続けた。

 

それなりの金額を投資して留学に行って、人間的にどう成長できたのかは分からない。

それでも、日本に帰ってきて純粋に「あぁ、あの留学は楽しかったなぁ」と思える4ヶ月にすることができたのは、自分の中では成功だと思っている。

勇気と無謀を履き違えた二十二の夏。

オーストラリア留学編、二話目。

前回の記事では準備編の話をつらつらとしたので、次はオーストラリアに降り立ってからの話を書こうと思う。

 

留学前の私の海外経験は実に二回。

一度目は高校修学旅行で行った真冬の中国(極寒。万里の長城、マイナス十度なり)。

二度目は家族で一泊二日の韓国。

 

ほぼほぼ海外経験はない訳で。

未成年の時に作ったパスポートは期限が五年だったから、作り直す必要があった訳です。

 

そんな中、無謀にも「エージェントに頼まず自力で留学!」をぶち上げた私。

若さ故の勢いなのか。それとも生来の自暴自棄気質か。

 

ともあれ、無事(トランジットのためバンコクスワンナプーム国際空港で9時間ほど時間を持て余しながらも)辿り着いたメルボルン空港。

どこを見ても英語ばかり。初めての税関にわたわたしつつも、無事にバスへ市内に到着。

……さて、住む場所はどうするか?

 

私は考えた。「できる限り安くで留学がしたい!」

そのためにはどうするか。

一番減らせるのは、家賃だ(と当時の私は思った)。

 

留学して、まずは一月ほどホームステイをするのが普通らしい。

その国の生活に慣れるのと同時に、生の英語力も身につく。一石二鳥だね!

でもそれなりに値が張る。更に調べてみると、その後留学生はシェアハウスに移るのが定番と。

そちらの方が安いじゃないか!

シェアハウスは原則インスペクション(入居する前の部屋の下見)をしてからが良いのだと言う。

なら、どうしよう?

 

こうして、メルボルンに到着して真っ先に、ドキドキのユースホステル暮らしが始まったのだった。

 

ユースホステル。旅をする青少年向けに提供される、安い宿。

基本一部屋複数人が主流。

私は4人部屋と16人部屋に(信じられるか?2段ベッドが両端に4台ずつ並んでるんだぜ?プライベートなんてないんだぜ……)泊まったが、あれはなかなか得難い経験だった。

自分の荷物はしっかり管理しておくんだよ。ウェストポーチに貴重品を寝るんだ。他人を信じるな。

盗難だとかそういうトラブルに巻き込まれることなく「楽しかったー!」と無事に日本へ帰れたのは良かったです。

 

ユースホステルに泊まってる間、必死になってシェアハウスのインスペクションに申し込む。

掲示板があるのです。

気になったところにメッセージを送る。

返事が来ないことは割とザラ。

私は幸運なことに、ユースホステルへ十日ほど泊まったあたりで行きつくお家が見つかりました。

そこで帰国まで暮らせたことも、またラッキー。

 

それでは、本日はこのあたりで。

久城でした。

1単位不足での留年は、ありえる。

昨年の10月から今年の1月まで、オーストラリアのメルボルンへ語学留学に行っていた。

理由を聞かれると難しいが、強いて上げるとするならばやっぱり「行ってみたかったから」なのだろう。

進級案件で1単位が足りずに留年が決定したことも一つの理由だった。

1年生の時、とある英語の先生が嫌いすぎて授業に出なかったことがまさかのここで響いた。

うちの大学はTOEICの一定以上の点数で単位互換ができるのだが、その申請期日は過ぎていた。

とにかく、いろいろ詰んだ結果、暇で時間があったのだ。

 

パスポートを取り、ビザを取り、学校と英文メールで交渉し、時には英語の電話にビビりながらも対応する。

エージェントを通さずにやってやろうじゃないの!と思ったといえば聞こえはいいが、単純に思い浮かばなかったのだ。

というか、一人でやるもんだと思っていた。

一人で出来ないと留学は出来ないとも思っていた。

留学先で日本人と話したときにまず聞かれるのが「エージェントどこ使った?」なあたりで、色々とお察しである。「使ってないよ、全部一人でやったから」と言うと、めちゃくちゃ褒めそやされるぞ!

 

ビザが多少難しいが(特に昨年2016年からは仕様が変わっていて、インターネット上に数ある知見があまり役に立たなかったというのもある)それさえ済めばなんとかなる。なった。

日本で検索してヒットするような語学学校は、大概日本人のアシスタントティーチャーもいることだし。

 

オーストラリアのビザは、今はインターネットから申し込みができる。

承認も早い。1日かかったか、かからなかったかくらい。

もちろん不備があれば突き返される。私は二度ほど失敗をした。

 

初めての国際線。

機内に預けられるスーツケースに20kgをギリギリ詰めて、いざ行かんやオーストラリア!

というあたりで、次回に続く、としようと思う。

就活は運ゲーだ

私、久城は就活生だ。正確に言えば『就活生だった』と過去形になる。

というのも、既に企業から内定を頂き、就職活動自体を終了しているからだ。

今は研究室で9時出勤の帰りは教授陣からの無茶振り次第、な生活を送っているよ!帰りたいね!

 

今年(2018年卒)の就職活動は「売り手市場」とも呼ばれている。

リクルートワークス研究所

大卒求人倍率調査 | 調査結果

に依れば、今年(つまり、2018年3月卒業予定)の大学生・大学院生の求人倍率は1.78なのだという。

 

求人倍率とはなんぞや?

求人倍率とは、企業の求人総数を民間企業就職希望者数で割ったもの、であるらしい。

つまり簡単に言えば、誰もが何もしなかったら一人につき1.78件の内定がもらえるということだ。

周りを見ても、何となーくそんな感じはする。私自身二つの企業から内定を頂いたし(ありがたいことだ)、今年卒業していった人たち(私は一度留年しているので、まぁかつての同期だ)も皆、一つ、あるいは複数の会社から内定を頂き、そして今は新入社員として働いているのだろう。

 

じゃあ、就職活動はヌルゲーだったのか?と言われると、さあどうだったかなぁと首を傾げてしまう。

個人的には、就活はヌルゲーというより運ゲーな気がする。

私は三月から就職活動をスタートさせた。マイナビリクナビサイトがオープンするのと同時だ。

それまでにやる気がある学生なんかはインターンシップに行ったり面接対策をしたりしているのだろうが、私は面倒臭がりだったから一切何にもしていない。

留学から帰ってきたのが今年の一月。

三月までに何をしていたかと言われると、実家で「逃げ恥」録画を一気見したり、留学期間中に出た本をウワーーット買っては積ん読崩しをしていたりしていた。つまり、暇を満喫していた。

 

結構いろんな企業を受けた。ITから出版、教育、物流、ゲーム。

今思えば適正がなかったのだろう、IT関連以外は大体一次面接でガンガン落とされた。

お祈りメールは腹立たしいので削除!

こうしているうちに縁ある企業からお声が掛かり、案外サクッと内定が決まった次第だ。

ちなみに一次志望ではない。むしろほとんど対策もしなかったような企業から頂いた。

一次志望は二次面接で落ちた。このやろう!

 

今振り返って思うと、まさしく「就活は縁」だと思うのだ。

就職活動をしている時は、そんなこという奴を鼻で笑い飛ばしていた。縁ではない、己の実力で勝ち取るのだと息巻いていた。

全く詰まらぬ人間である。

方向性さえ間違わなければ、案外流されるがままでも引っかかる所に引っかかるのかもしれない。あとは自分の運に身を任す。

就活は運ゲーだ。多分ね。

 

とりあえずは、縁あって私なんぞを採用した奇特な企業のために働こうと思う。

 

……そのためには卒業しないとなぁ……。

卒業研究、がんばるぞい。

この世界は

暑い、暑すぎる。

少し暑すぎやしないかね。

 

初めまして。現在地方で貧乏学生をやっている、久城と申します。

本を生きる糧と信じる書痴の端くれです。

 

ところで、現在私が住んでいる鹿児島の気温、実に32℃。

ちなみに湿度は83%、降水確率は80%のこと。

まだ開けない梅雨の影響か、雨は降ったり止んだりしている。だからか非常に蒸し暑い。

 

昨日は研究室から帰還後、うっかりそのまま寝入ってしまい、目が覚めた時には熱中症一歩手前。吐き気と頭痛にコリャイカンと、しばらく悩んでクーラーを付けました。

貧乏学生なので、クーラーを付けるのにも悩みます。

 

それでも健康には代えられない。

というか熱中症で救急車を呼んだ時にかかる代金のことを思うと、このくらい安い出費だと財布を握り締めながら思う日々。

 

それにしても、年々暑くなっていませんかね。

そう思って見て見たのが気象庁

1883年観測開始から現在2917年7月まで、実に100年以上もの気象データが詰まってる。すごい。

気象庁|過去の気象データ検索

このページから、まずは地点を洗濯。その後、「データの種類」で「観測開始からの月ごとの値を表示」を押し、出てきたデータの七月の部分だけを切り取ってちゃちゃっとグラフに。Excel様様。

 

そして見てみる。ふむふむ。

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確かに平均気温は上がって……上がって……上がってる?

 

なんとなく上がってる気もするので、それが気のせいか事実なのかを確かめてみる。

と言っても簡単。グラフ上で右クリックして「近似曲線の追加」を押すだけ。

理論としては「最小二乗法」というものを使っているのですが、説明だるいのではしょりましょう。簡単に言えば、測定値を直線や曲線で近似することができます。

 

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さてこうして見れば一目瞭然。なるほど確かに気温は昔に比べて上がってる見たい。

そう言えば最近「地球温暖化」という言葉を聞かなくなりましたね。私が小学生の頃は物凄い重大テーマのように授業で聞かされていたのですが、はてさて。

 

しかしこういうデータを見てみると、未来に希望が持てなくなりそう。

だって来年はきっと今年より暑いんだ。来年がたとえ今年より涼しくても、きっと再来年は今年よりも暑いんだ。

 

来年は今年より暑くとも、せめてクーラーを躊躇なく付けられるくらいのお金が欲しいなぁ。

そんなことを思う久城でした。